July 2009
「日本人は嫉妬深い」これは間違いないと思うんですが、オージーでも嫉妬する奴はいくらでもいるんですよね。ただ、日本とは嫉妬の方向が違うかなあと。
オージーとかの嫉妬は「あの野郎いい思いしやがって、うらやましい!(俺もああなりたい)」だと思うのですが、日本人の嫉妬は、「あの野郎、自分だけいい思いしやがって!(引きずりおろしてやる)」って感じで。
前者だと、自分も金持ちになるかもしれませんが、日本人の場合は相手が貧しくなるだけで、自分は貧しいまま。そのくせ、「やった!」とほくそ笑む。陰湿かつ非生産的ですね。
” ——
いわゆるメシウマ的な感情
(via plasticdreams) (via osekihan) (via bardiche-side-b)
(via stratums) (via gkojax)『Personal Development for Smart People: The Conscious Pursuit of Personal Growth』の著者Steve Pavlinaさんは、自身のブログで、たった20分程度で人生の目標を見つける方法を紹介しています。
方法は以下の4つのステップです。
ステップ1: 紙を取り出す、もしくはワープロソフトを立ち上げる
ステップ2:表題として「人生における本当の自分の目標はなにか?」と書く
ステップ3: この問いに対する答えとして頭に浮かんだことを次々列挙する
ステップ4:泣けるまでステップ1~3を繰り返す。涙が出てきたらそれがあなたの目標。
答えを列挙するときは、文でなくフレーズやキーワードだけでもOK。同じような答えが続いても構わないそうで涙が自然と溢れてくるまでどんどん書き続けることがコツ。一人になれる場所で集中して取り組むのもポイントです。たいてい15~20分程度で頭の中が整理され、平均50~100程度の答えを書けば、おのずと人生の目標としていることがはっきりしてくるそう。ちなみに、Steveさんは25分間をかけ、106つ目の答えで自分の目標にたどり着いたとのこと。
一見マユツバなこの方法ですが、Steveさんの記事によると80~90%の人がこの方法で1時間以内に何がしかの答えにたどり着いたそうです。自分を泣かせた自分の言葉が、今後自分を勇気付ける黄金律になるかもしれません。一度試す価値ありですよ。
” —人生の目標を20分で見つけ出す方法 : ライフハッカー[日本版], 仕事も生活も上手くこなすライフハック情報満載のブログ・メディアでもバカは一生続く” —スタンド・バイ・ミー 心に残る名言集 (via bacars) (via bardiche-side-b) (via gkojax)
■[研究] 卒業研究につまづいている人へ:範囲を決めてとりあえずザッと終わらすCommentsAdd StarLuciealkiwofusijiangmin-altjiangmin-altjiangmin-altfuktommyJD30671011SeiSaguruSeiSaguruSeiSaguru
GTDでお馴染みのデビッド・アレンさんの受け売りだけれども
「知的労働は基本的に終わりがない。だから、ストレスフリーに知的労働を行うためには区切りは自分でつける必要がある。」
私が見聞きした学生さんが卒業研究でつまづく際の典型例が「細かいところに執着し、しかも、その部分すら終わらせることができずに燃え尽きる」というもの。これが発生するする原因は以下のとおり。
1. 卒業研究の目的(もしくは今行っている作業の目的)を理解していないため、終着点(作業の終わり)をイメージできていない
2. 終着点がイメージできていないので、今、こだわっている部分の重要性を見積もることができない
3. 終着点がイメージできていないので、今、こだわっている部分をどれぐらい深く(細かく)行えば「今のところは」十分なのかがわからない
研究は正解のない作業であり、正解がない作業はとりあえずやってみないと課題が何かすらわからないことがあるので、とりあえず終わらせていることが重要。ここいらへんは、ソフトウェア開発のアジャイル開発やエクスストリーム・プログラミング(XP)でも良く言われていること。最近の漸進的ソフトウェア開発手法の際によく言われるのが「将来必要になるかもしれない機能は、必要になったその時に追加すればよく、今は追加するな!」ということ。これは卒業研究でも一緒。
卒業研究の目的あるいは今行っている作業の目的がはっきりと理解できていなければ、何が今必要な事柄であり、何が今は必要ではない事柄なのかを判断することができない。なので、まずは、卒業研究の目的や今現在行っている作業の目的をはっきりさせるべき。自分で決められるならば自分で決め、ダメなら先輩や先生の知恵を借りる。先生はこのために給料もらっているんだから遠慮しなくてもよい。
目的がはっきりしたら、当面の終了条件を決める。「当面の」という制限をつけた理由は、必ずしも一度の作業で卒業研究の目的や行おうとしている作業の目的を完全に達成できるとは限らないから。たとえば、木工工作のやすりがけを思い浮かべてもらえばよいと思う。作業目的は作った品の表面をなめらかにすることだけれども、最初は粗くヤスリをかけ、徐々に目の細かいヤスリで仕上げていき、最後はツルツルにする。いきなり、目の細かいヤスリでツルツルにしようと試みるのは、できないことはないけれども、うまいやり方ではない。
当面の終了条件を決定したならば、自分の中の完璧主義な面には旅行に行ってもらい、当面の終了条件をぎりぎり満たす品質で作業を行うべし。品質の向上は2回目以降に実施する。正解のない事柄においては、品質とは常に理想とどらくらい距離があるかということ。かなり頑張ってもたどりつけないのが理想なのだから、ちょっとずつちょっとずつ理想に近づけていくべき。ある部分だけいきなり理想に到達ということはありえない。
当面の終了条件を満たしたならば、満足できようができなかろうが作業を終了すること。そして、作業過程で得られた知見や作業結果を考察すること。場合に寄っては、当初立てていた解決法や実現方法、作業計画に対してネガティブな結果がでているかもしれない。かなり、レアだけれども研究目的に対してネガティブな結果すらでている可能性がある。でも、これが研究!答えが分かっているならば研究する必要はない。勇気をもって、解決法、実現方法、作業計画、研究目的を修正しよう。一人で行うのが難しいならば、先生や先輩の力を借りるべし。
* 創造的な作業に頭の力を使うために、覚えておくことはコンピュータや紙に任せておくべき。GTDの一番の利点はそこにあると思う。
o はじめてのGTD ストレスフリーの整理術
o 2006年にお世話になったLife hack関係の技術&Webサービス
十代で人生をダメにするための“読書”CommentsAdd Starmyrmecoleonsugimo2chintaro3
塵
自信がない人たち | smashmedia
十代の君へ―本を読むことについて― - G.A.W.
十代の人が、人生を棒に振ってしまうためのフラグの立て方は色々あるが、そのなかでも有名なものの一つに「悪性の読書」というやつがある。若いうちから、活字の海で現実を誤魔化すような処世術を身につけたり、捻れた本との付き合い方を覚えてしまったりした人は、まぁ、あとあと難しいだろう。上記リンク先の二つの文章を読んでいて、そういうことを思った。
人生をダメにするための“読書”いろいろ
では、人生を棒に振るような“悪性の読書”とはどういうものか。色々なパターンをみかけるなかでも特に頻度の高いもの三つを、書き残しておこうと思う。
・世の中を色眼鏡で眺めるために本を求める
目の前の現実なり、自分が置かれている境遇なりが気に入らなくて、それを色眼鏡でみる為に書物に耽溺するタイプ。このタイプの人は、現実世界のややこしさや理論の不完全性を承知しながら注意深くモデルを適用してみようという姿勢になりにくく、むしろ思想や理論という名のロードローラーを使って、現実世界をとにかく単純化・抽象化する姿勢へと傾きやすい。思想や理論が含んでいて然るべき、現実世界に合致しない部分や不完全な部分を留保するよりも、自分が見たいビジョンで自分の視界を染め上げることが優先されるものだから、教条主義的・原理主義的な人間になりやすく、融通のききにくい“理屈だおれ”にもなりやすい。
このタイプの人達にとっての“読書”は、世の中のことを広く識るための“読書”というよりは、世の中の見方をむしろ限定し狭めるための“読書”という体を為しやすい。彼らにとっての理論や思想とは、視野を狭窄させるための色眼鏡でしかないし、まさにそのために“読書”が必要とされている。
見たくない現実を自分の視界から締め出すために本を積み上げる人が、良い読書家になれるとは思えない。
・本の威を借りるキツネになるために本を求める
読んだ本の数や著者の名前が、履歴書になると思っている人達の“読書”も、人生を棒に振りやすい。本棚に並んでいるハードカバーの立派さのためばかりに書籍を買い求める人達も、同様である。
本来、読書なんてものは「誰の本を読んだのか」よりも「どんな影響を受け何を考えるようになったのか」のほうが遥かに重要な筈だし、ときには一冊の小説が、十冊の小説よりも強いインパクトを与えるなんてこともザラにある筈だ。しかし、このタイプの人達にとっては、読破した本の数を数え上げ、難解で有名な何某という著者の本を読みきったという事実証明のほうが重要らしい。結婚相談所に提出する履歴書に載せるために本を読むような、あるいは本の威を借りるキツネになるために強面の本を敢えて選ぶような、そういう空疎な本の読み方に耽る人間というのは、いないようで結構いるものである。
本からの影響や本の内容よりも、本の威を借りることに夢中になっている人が、良い読書家になれるとは思えない。
・優越感の袋小路に逃げ込む為に本を求める
人間関係や部活動のような、他人同士が競り合う分野では劣等感が強烈過ぎて、それを補償するために、およそ誰も競争相手がいない領域を敢えて選んで、そのジャンルで悠々と優越感を味わうために本を選ぶ、という人も、可能性を本で囲い込んで腐らせてしまいやすい。
例えば、日常生活のなかで劣等感が強い人が、その劣等感を補償する為に本に手を伸ばすケース。実のところ、やり方は非常に簡単で、クラスメートの誰も興味を持ちそうにない分野の、ちょっと難しそうな本を見繕ってきて、クラスのなかで見せびらかすようにそれを読めば良い。クラスで文芸書を読んでいるやつがいなければ文芸書でもいいし、ヘブライ語の教科書でも、映画批評みたいな本でも構わない。とにかく、“クラスの頭の悪い連中”が手をつけそうに無い“俺だけが重要性を知っている”分野の本を選びさえすれば、劣等感から身を守る大きな防壁として十分に役立ってくれる。
しかし、こういう本の選び方ばかりしていれば、当然、“クラスの頭の悪い連中”とのコミュニケーションはますます困難になるばかりでなく、興味や関心の分野を著しく狭めてしまうことになりかねない。また、選んだ分野についての造詣を深めようにも、単に競争相手がいない場所を選んでいるばかりでは切磋琢磨など望むべくもないし、万が一、大学進学先などで競合相手に遭遇した場合、そこで再び劣等感を刺激されてもっとマイナーな分野へと逃避するしかないような、そういう逃げ癖が身についてしまうことも有り得る。
マイナージャンルを防壁にしながら劣等感から逃げ回るだけの人が、良い読書家になれるとは思えない。
まとめると
このように、ひとつ“読書”と言っても、世の中に対する視野を狭めたり、都合の良いモデルで現実の埋め合わせをするために本の山に埋もれるような、そういう惨めな本との付き合い方というのは十分に有り得る。世界を多様な視点で眺める術を与えてくれる筈の本が*1、景色を歪め、視野を狭めるためのツールに堕するというのは、とても哀しいことだが、こういう事例は枚挙に暇が無いのが現状だ。
矛盾した物言いに聞こえるかもしれないが、十代の人が劣等感を補償する為に難しめの本にチャレンジしてみるとか、他の人が手を出してない分野を学んでみるというのは誰にだってあることだろうし、むしろある程度は年齢相応に必要なプロセスでもある。だから、上に書いたような本の選び方が全部ダメだというつもりは無い。けれども、上に書いたような本の選び方ばかりを繰り返しているしているようでは、やっぱり良い読書家になれるとは思えないし、どんなに良書を選んだとしても、得るところが少ないだろう。
[どんな本と付き合っているのか]よりも[どんな風に本と付き合っているのか]のほうが人生の良し悪しを左右するファクターとして重要。
” —十代で人生をダメにするための“読書” - シロクマの屑籠(汎適所属)『成長のジレンマ』
これは勝手に命名させてもらいました。多くの就活生・社会人が陥いるであろう罠です。
本当に成長する人は周りに貢献し、周りの助けを得ることができる人
まず、僕が内定者だった頃の当社の社長との会話を紹介したいと思います。
「自分の成長を考えている人と他人への貢献を考えている人、どっちが成長すると思う?」
今考えると恥ずかしいのですが、こう答えました。
「自分の成長のことを考えている人だと思います。」
理由は簡単でした。なぜなら就職活動で出会った社会人は、得てして自分に対する成長意欲が非常に高かったからです。私の答えに対して、社長はこう教えてくれました。
「それは違う。恐らく、どちらの人も速度は違えど、成長するはずです。しかし、本当に成長する人は周りに貢献し、周りの助けを得ることができる人です。」
当時「なるほど。確かに。」と納得したことを覚えています。しかし、実際にこの言葉の意味を理解することになるのは、採用担当を始めて半年くらい経った頃でした。その言葉の意味について書いていこうと思います。
成長意欲をアピールする就活生
よく就活生の面接をしていると、「御社で成長できると思ったからです。」「御社でなら新しいビジネスに取り組めるチャンスがあると思ったからです。」という学生が後を絶たない。恐らく「成長意欲があります」ということをアピールしたいのでしょう。
確かに成長意欲が無い人よりは、成長意欲があった方が絶対的に良い。しかし、上記の発言をする人は基本的にNGです。
なぜ成長意欲をアピールするのはNGなのでしょうか?そして、なぜ成長したい人ほど成長できないのでしょうか?
人は分業するという選択をした
まず仕事のあり方についてです。
18世紀のイギリスの自由主義経済学者アダム・スミスが、『国富論』の第一編において分業を論じている。それ以降、人は分業システムを理論的に定式化した。そして人は、信頼と責任をベースに仕事をすることを始めたのです。
分業が確立される前までは、一人で自分のためにでも良かったのかもしれません。しかし、分業を選んだ以上、自分のことしか考えていない人は、そのコミュニティから弾かれる事になります。これを現在のビジネスに置き換えてみよう。
例えば、分業していると多くの人が一つのプロジェクトに携わります。よって仕事を依頼しなければならない。また、仕事を請けなければならない。その中で「自分の成長を考えている人」と「相手への貢献を考えている人」のどちらに仕事を任せたいだろうか。恐らく後者であろう。社内然り、顧客然りである。結局、自分の成長を強く望んだとしても、自分の成長に繋がるような仕事を与えてもらえないのです。
これが、成長のジレンマである。
良い仕事をする人に良い仕事が回ってくる
さらに自分の成長を望む人間は得てして競争を好みます。なぜなら、いかに成長するチャンスを得るか、が目的になってしまうからです。
しかし、相手の貢献を望む人間は競争を好みません。なぜなら、競争をせずとも貢献はいくらでもできるからです。目的が「奪う」ではなく「与える」ということなのです。
さらに、競争心がモチベーションとなって行動する人は、それ以外の人、たとえば克己心などをモチベーションにする人に比べ、いい結果が残せないという研究結果があります。
たとえば七歳から十一歳の女の子を集めてふたつのグループに分け、それぞれにコラージュを作ってもらいます。一方のグループにはこれは競争であると言い、もう一方のグループには何も告げず自由に作らせました。そしてできあがった作品を、プロの芸術家たちに評価してもらいます。 その結果、競争した子どもたちの作品のほうが単純で、自由な発想に欠け、「条件を与えられなかったグループよりも、驚くほど創造性が低い」ことがわかったというのです。
競争はまた、仕事の質も低下させます。テキサス大学のロバート・ヘルムライク教授は、自然科学の分野で博士号を持つ人百人以上の著作を調べました。その結果、専門分野への興味や自分で決めた目標を重んじる研究者のほうが、競争を重んじる研究者よりも、質の高い仕事が多いということがわかったという。
ヘルムライクによると、航空機のパイロット、予約代行業などそのほか九つの職業でも、同じパターンが見られたとのことです。
良い仕事が出来なければ、次に良い仕事は与えられない。これも成長のジレンマです。
企業は組織に貢献できる人を求めている
話を就職活動に戻しましょう。
面接やエントリーシートを見ていてよく出てくる発言が以下の内容です。
「御社ならキャリアを詰めると思ったからです。」
「御社であれば裁量権があり、すぐに成長できると思ったからです。」
「御社の環境なら自分の力が発揮できると思ったからです」
「御社でならMBAが取れると思ったからです。」
改めて言います。こういったニュアンスの発言や質問の類はNGである。
採用担当官は間違いなく、貢献の意識を理解できていない人より理解できる人を採用します。いかに向上心や成長意欲が強く成長した結果その会社に貢献できるとしてもである。
ある程度優秀な人材であれば、そもそも向上心や成長意欲があって当たり前だと我々は考えています。中には優秀さに甘えている人もいますが。
よって、自己の成長意欲をアピールしている人はただのエゴイストにしか見えません。「自分が成長した結果、貢献する」であっても、そもそも自分の成長が目的になっている人は、結局エゴイストとみなされてしまう場合が多いです。結果、成長もできなければ、チームワークも乱すとみなされても仕方が無いのです。これでは、採用したくてもできない。
本来あるべき姿は、チームでビジネスをする以上、自己の成長意欲といった利己主義ではなく、企業への貢献といった利他主義をアピールしなければならないということです。
よって面接やエントリーシートで書くべき事は以下のようになります。
「私の力を使って、御社のメンバーの成長に貢献したいと思ったからです。」
「私の今までの経験で、御社の利益創造に貢献したいからです。」
「より一層学習し、これから入ってくる社員へのナレッジを蓄積します。」
といったことが、企業が求めていることです。これを表面上で共感するのではなく、理解し、実践できるようになることが重要なのです。
最後に
社会人になって学生の頃よりもお会いする社会人の方が絶対的に増えたことも原因かもしれませんが、真のプロフェッショナルなビジネスパーソンと呼ばれる人とお会いするようになりました。そこで気付いたこと、それは真なるビジネスパーソンは、自分の成長に着目はしていませんでした。他者への貢献に着目し、結果成長していたのです。
成長が目的となる人には、周りが成長の機会を与えない可能性があります。そして、成長の機会を自ら逃すことになります。「成長したいのに成長できない」これが『成長のジレンマ』なのです。
” —なぜ成長したい人ほど成長できないのか -成長のジレンマ- - 最強就活.com2. お皿の中身をカンペキにキレイに食べつくすのは、もうやめよう。
3. 食べ物が入っている袋・箱・パックから直接食べるのはやめよう。
4. たくさんお皿にないと満足できない? じゃお皿はちょっぴりドレッシングの山盛り野菜かスープで満たそう。
5. 夕食には巨大なディナー皿じゃなくてサラダ皿を使おう。
6. 何かを注文するときには、常に「Sサイズで」を決まり文句にしよう。
7. マルチパックやファミリーサイズはやめて、1人分のシングル・サイズを買おう。
8. 栄養成分表示のラベルをまず読もう。
9. 食べる前に「食べない分」を取り分けておこう。
10. フレッシュ・フルーツで食事の最後を締めくくろう。” —食事量をセルフコントロールする10の方法 : ライフハッカー[日本版], 仕事も生活も上手くこなすライフハック情報満載のブログ・メディア
早いもん勝ちなんかじゃありゃしません。” —第199滴 ~世の中、続けたもん勝ち (via ak47) (via kml) (via dannnao) (via owaraitv) (via uessai-text) (via gkojax)
つくづく不思議に思うんですが、女性向けのファンサイトにおいて「検索避け」の是非は散々論じられてきましたが、男性向けのファンサイトにおいて検索避けを施したり気を使っているというのは全然聞いたことがないんです。 それに代表されるように、男性向けコンテンツの場合「多くの人に知られること=自分の作品を認められる」と直結しているからこそ、単純に同人誌の売り上げやヒット数を伸ばすことに罪悪感や背徳を感じないんでしょう。
一方で、女性向けコンテンツの場合は「(理解ある限定された人たちの中の)多くの人に知られること=自分の作品を認められる」という感じがします。「多くの人に知られること→理解されない人たちに晒される可能性がある→傷つけられる」という、一種の恐怖を最初の式と同時に感じているのかもしれません。なので、最初の式の頭に「理解ある限定された人たちの中の」と限定する。
” ——-
同人でなくても女性の集団行動原理はそんな傾向があると思う。制服OLさんとか女子校とかでは特に。
—
男性:割りとオープン(牧場の柵のあるコミュニティ)
女性: クローズド(城壁のあるコミュニティ)
ってかんじですか
Q「成功ダイエット法は?」
食生活改善ダイエットです(・ω・+)ずばり
食事はまずサラダやス-プから
ご飯は玄米
大豆製品を食べる
お肉や魚を食べる
間食は控える
(夏の食欲が減る時期に間食をしないリズムを作るのがオススメ★)
でも
3食しっかり食べる
スウィ-ツは1日1個までならなんでもOK
というmyル-ルで
やっております(ノ>3<)ノ
健康と美容オタクなので体にイイ!!
お肌にイイ!!
と聞くと
その食べ物が好きになっちゃいます(笑)
(ノ´Д`)ノうきょ-
「xx言語習得したいから勉強」なんてやり方はぜんぜん成功しない。 成功したことがないよ。
かわりに、 「yyみたいなのつくりたいからxx言語つかう」っていう時だけはわりとうまくいくから これが(ぼくにとっての)唯一のプログラミング言語を習得する方法かな…
” —プログラミング言語を身につける唯一の方法 - ぼくはまちちゃん!(Hatena) (via otsune) (via gkojax)たとえば、次のようなものは研修で受けたことがあります。
「核シェルターの最後の5席。銃を持った警察官・女優・妊婦・年寄り・科学者・政治家、さて誰を残すか話し合いなさい」
「難破船の木切れにあなたとあなたが好いている女性とあなたを好いている女性とライフジャケットを持った船員と、あわせて4人。でも木切れは3人捕まると沈む。ライフジャケットは一人しか浮かべない。さて、あなたならどうするか話し合いなさい」
「吹雪の山小屋にあなたとあなたの妻とあなたの母親とあなたの子供と友人の子供が閉じ込められる。乾いている寝袋はふたつ。雪山を単独踏破できるのはあなたひとり。しかし誰も一夜を寝袋なしでは過ごせない。寝袋を誰に渡すか話し合いなさい」
「破産した友人の連帯保証人でヤクザから借金を負った男がいる。妻は子供をつれて離婚し男に慰謝料を請求している。友人は他の女の部屋に転がり込んでいるらしい。男は友人の妻から友人を殺して生命保険を分けようと持ちかけられる。男に金はあるが、慰謝料と借金を返すには足りない。男は殺人を実行する決意を固める。さて、一番悪いのは誰?」
これら自分の伴侶や両親、友人に聞いたら「はあ?お前アホか」と言われるような問いかけをグループディスカッションのテーマとして取り上げるのは、1.答えが出ない 2.それぞれの思想信条によって必ず討論となる 3.各人の答えに妥協の余地が少ない からです。
要はなんでもいい、ただできるだけ答えが出ず紛糾し時間がかかる議題を与えて、お互いの価値観を指弾し非難されつつ半日程度を無駄に論争させる。さらにそれを発表させて、他グループの批判に晒すことで自分の気持ちの中で更なる内的議論を触発する。そうしてすべての価値観に「?」がついた頃合いで、「さあ、ご自分の自己分析をしてみてください。そして、議論を通してあなたがどんな人だったか、グループ内のみんなに聞いてみて、あなたの自己分析と比べてください」とやる。
” —研修という聖域 あるいはモラトリアムの憂鬱 - 背後からハミング (via otsune) (via gkojax)